2013年4月22日月曜日

インプットメソッドについて


最近しびれるような気づきがあった。

気づきとはインプットメソッドについてである。

Emacs をこよなく愛する身としては、キーボード入力こそが至高であろうと、そう思っていた。しかしこの考えは改めざるをえないようにも思う。

少々シチュエーション限定されるがこんなケースを想定してほしい。

出先でiPhoneを使用して軽めのメールを1通書く場合、フリック入力といえど面倒なことがある。

ことがあると言いつつもズバリ面倒なのだ。

面倒だなぁと思っていてもらちがあかないので、こういうときは音声入力でメールを書くことにしている。この音声入力というやつが案外良いのだ。

人というものは道具を介した際に癖でも出るのであろうか。フリックにしろキーボードにしろ何か道具を介した言葉の羅列は、見飽きた冴えない文面だ。

しかし音声入力を介した文面は思考そのものが端的に表れ、文脈や構成はめちゃくちゃなのだが、思念そのものが自由に飛び交ってるように見える。

一般的な入力方式としてフリックやキーボードから介抱される日はそれほど遠くないと、気づきは確信に変わった。

声の出せるフィールドでは音声入力

声の出せないフィールドでは Bluetooth キーボード入力

込み入った場所ではフリック入力

コーディングは有線キーボード

言葉遊びやブログのたたき台は音声入力

これで行こうと思った。