最近しびれるような気づきがあった。
気づきとはインプットメソッドについてである。
Emacs をこよなく愛する身としては、キーボード入力こそが至高であろうと、そう思っていた。しかしこの考えは改めざるをえないようにも思う。
少々シチュエーション限定されるがこんなケースを想定してほしい。
出先でiPhoneを使用して軽めのメールを1通書く場合、フリック入力といえど面倒なことがある。
ことがあると言いつつもズバリ面倒なのだ。
面倒だなぁと思っていてもらちがあかないので、こういうときは音声入力でメールを書くことにしている。この音声入力というやつが案外良いのだ。
人というものは道具を介した際に癖でも出るのであろうか。フリックにしろキーボードにしろ何か道具を介した言葉の羅列は、見飽きた冴えない文面だ。
しかし音声入力を介した文面は思考そのものが端的に表れ、文脈や構成はめちゃくちゃなのだが、思念そのものが自由に飛び交ってるように見える。
一般的な入力方式としてフリックやキーボードから介抱される日はそれほど遠くないと、気づきは確信に変わった。
一般的な入力方式としてフリックやキーボードから介抱される日はそれほど遠くないと、気づきは確信に変わった。
声の出せるフィールドでは音声入力
声の出せないフィールドでは Bluetooth キーボード入力
込み入った場所ではフリック入力
コーディングは有線キーボード
言葉遊びやブログのたたき台は音声入力
これで行こうと思った。